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2013年 07月 28日
お白石行事その2:
川曳きの後、お白石を受け取り白い布に包んで正殿に向かう。 森に囲まれた石段の下から見上げる新しい正殿の神域は、白木とかやの屋根が 陽をあびて金色に輝き、まさに生命のいぶきと再生を感じさせる。 石段を上がり垣の門をくぐると、新しい白木の香りが立ち込め域内は清浄感に 溢れている。 端垣の門をくぐり仰ぎみる正殿はとても大きく見える。 正殿を囲う垣は、神域を限定すると同時に視野も限定し、平面寸法11m×5.4m 高さ10mの正殿を大きく見せる仕掛けなのではと思えてくる。 隣に見える遷宮を待つ現在の正殿の千木、鰹木の金の飾りが苔むした屋根の上に 輝いているのが印象的だ。 短い滞在時間ではあったが、五感で感じたものは、間単に言葉ではまとめることの できない貴重な体験だった。 そのような体験のあとで以下の建築考察は陳腐かもしれないが後の資料のために まとめておくことにする。 川添登氏は以前の遷宮では棟持ち柱の節は込み栓できれいに埋められていたが、 創建当時の棟持ち柱は、節ありの荒あらしいものではなかったかと書いている。 今回みた西側の棟持ち柱には節がかなり残っていて、節ひとつない柾目の板塀と 対照的だったのが印象に残った。 正殿の南面につけられた幄舎は明治以降に設置されたものだというが、この差しかけが ない状態で仰ぎ見た正殿は、より一層美しく荘厳に見えることだろう。 神宮の神殿の多くは、板壁の上に桁、梁がのる壁構造だが、大田邦夫氏によるとそれは 新設当初のことで時間の経過とともに板壁が乾燥収縮して桁、梁は柱の上にのり 加重は柱で支えられるようになるのだという。 今回時間の許す限り見てまわった外宮、内宮の20年を経た建物は全てに柱と梁、桁の 間にはいまだ2-3cmの隙間があり、屋根は壁で支えられていた。 これはどういうことだろうか。 外からは伺いみることはできないが、外宮の御饌殿(みけでん)は写真で見ると 板壁の井楼(せいろう)造りであり、施工の簡便さから考えて この形式が伊勢の原型といわれる倉の建築形式でだったことは間違いないだろう。 また1300年前の創建当時においては、たてびきのこぎりがなかったので 板は楔で割っていただろうと推測されている。それをちょうなや槍鉋で仕上げていたの だろうが、いくら柾目板といっても、充分乾燥させないと反るので、 乾燥の後、反りをとりのぞいていたはずである。 とすると板材の乾燥状態は現在とさほど変わらなかったのではないか。 つまり20年たっても現在と同じように梁、桁は柱の上にのらなかったのではないか。 あるいは、のることは必ずしも想定されていなかったのではないか。 (そのあたりの資料をご存知の方は是非教えていただきたい) だとすると神明造りを特徴つける柱は何のためにあるのか。 井楼作りではだめっだたのか。 柱は当初から壁が乾燥で縮む経年変化後も屋根の加重を支えることを 想定していない、あくまでも権威と美を象徴する偽柱だったのではないか。 伊勢神宮に現代建築との繋がりを見出したブルーノ・タウトは、実は伊勢を 読み違いえていたのではないか。 伊勢は建築とはなにか、美とは何かを考えさせる建物群である。
by mabg-sky
| 2013-07-28 12:02
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