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2012年 04月 01日
札幌時代にお世話になった、画家の花田和治さんの北海道近代美術館での
展覧会に行ってきました。60歳半ばを過ぎた花田さんの年代ごとの 業績をたどる大きな展示です。 いつしか音信が途絶えてしまったのですが、学芸委員の方の取り計らいにより、 20年以上ぶりに仲間とともに、花田さんともお会いすることができました。 以下は展示を見た私の感想です。 私が、花田さんとお会いしたのは、花田さんが東京から故郷札幌に戻られた 30歳前後の頃でした。その頃は平面を分割した抽象表現を探求されていて、 綺麗だがそれが何なのか、それ以上のことは私にはわかりませんでした。 ちなみにその頃いただいたシルクスクリーンは今でもあの頃の素晴らしい思い出です。 しかしながら、80年代から探求するものが大きく変わっていったことを 今回の展示会でたどることができ、私にとっては、絵の見方を広げてくれた 素晴らしい展覧会でした。 私が80年代以降の絵を見て感じたことは、一言でいうと、自然の静けさの エッセンス(本質)のなかに引き込まれていく感覚です。 学芸員の光岡氏が書かれていたように、花田さんは画面に表現される イメージとはなにかということに関心を寄せられていたようです。 当日もお茶を飲みながら、例えば母の列車は、駅で見た老婆の姿に触発されて描いたと 花田さんが話されていました。 しかしそこには老婆の姿はどこにもありません。 あるいはその濃いブルーの中に、北の海を想うことができるかもしれませんが、 絵の中にあるのは、深淵と静けさだけです。そこには具体的なイメージは一切ありません。 ではなぜ具体的なイメージを消さねばならないのか。それはイメージがあると、 イメージが先行してしまい、本質が後ろに隠れてしまうからではないか。 それでは花田さんが捉えようとした本質とはなにか。 それは豊穣な静けさであり、それを画面の中に定着しようとしたのではないか。 それを触発したのが自然だったのではないか。 私が静けさのエッセンス(本質)のなかに引き込まれていく感覚を覚えたのは そのためではないか。そんなことを絵を巡りながら感じ考え、充実した時間でした。 展示会のパンフレットの中で、学芸員の光岡氏が日本画の巨匠福田平八郎に花田さんが 関心を寄せていたことを書かれていましたが、私も30年前に花田さんから 福田平八郎の話をお聞きし、画集を買った記憶があります。 その当時はなぜ福田平八郎かわからなかったのですが、今思うと花田さんは 福田平八郎のもつ静謐さに惹かれていたのではないか。 その意味で、福田平八郎への関心イコール日本画的なものへの回帰ということではないと、 私は考えています。 自然もっと大きく言えば宇宙と人間の間に表現者として介在し、自己のイメージを 前面に表現することなく、宇宙や自然の本質を紡ぎ出して提示してみせること、 これが日本的表現の本質なのではないか。 例えば ふるいけやかわず飛び込む池の音 という芭蕉の俳句でも、作者のイメージは 何ら表現されてはおらず、ただ永遠に続くかのような静けさのみを提示している。 それはすぐれた芸術のみが持つ特質であると私は考えています。 その意味において花田さんは、画業において宇宙(自然)が内包する 静けさ、喜び、悲しみといったエッセンスを、具体的なイメージを介在させることなく 捉えたのではないかと、というのが私の感想です。 70年代 私が花田さんにお会いした頃、描かれていた平面分割 手稲山の雄大で吸い込まれるよう画面 母の列車
by mabg-sky
| 2012-04-01 10:34
| 美術
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